マタイ 8:20 人の子には枕する所もない
イエス様は、自分に従おうとする者に対して、その厳しさを教えられました。そこに使われたのが2つの話です。その一つ、律法学者が「どこへでも従ってまいります」と言った言葉に対して、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われたのです。イエス様がなそうとされている十字架の出来事への厳しさ、それでも従うかという決意を求めるものでした。
大江教会に赴任して2週間がたちました。まだ1週間ですが、すでに10年くらいいた感じです。枕する時間もないという感じです。2つの葬儀、女性会連盟総大会、礼拝、そして引っ越し、東京出張。しかし、それができる喜びを感じています。いままで事務局では職員はいても、信徒のみなさんはおられませんでした。羊飼いに羊がいないような寂しさがありました。今回、枕する時間もありませんでしたが、ともにそれを担ってくださる信徒の交わりがありました。私たち教会が安心して枕する所はこの交わりです。ここにイエス様がいてくださるから、共にそれを担っていくことができた1週間でした。やっぱり現場に立つことの喜びを感謝しています。
イエス様は「枕する」と言われました。これは単に寝る場所を確保するといことではありません。しかし、「枕」が意味する平安は何かと考えてみますと、最終的には安心して死ぬことではないでしょうか。イエス様がこの世で「枕する所」はありませんでした。むしろ、私たちが安心して枕するために、十字架にかかられ、安心して枕するために復活してくださったのです。私たちたちは、イエス様にあってひとつだという真実が、平安を生みだしていきます。私たちの枕するところは、イエス様のみ言葉の中、教会の交わりにしかないのです。
<音声朝礼拝はもうしばらくお待ちください>