熊本の雨を久しぶりに経験しています。これが「どしゃ降り」という雨でしょうか。東京にいた頃、熊本の雨は「バケツをひっくり返したような雨」と説明しても誰も信じてくださいませんでした。そんな雨なんか降るわけがないと。でも、やっぱり「バケツをひっくり返した」雨という表現は正しかったと思います。
旧約聖書の創世記には「神は大空を造り、大空の下と大空の上水を分けさせられた」とあります。大空を天と呼ばれていますから、雨は天の水が落ちてきたと考えていたのかもしれません。とてもロマンチックなことだと思います。ということは熊本の雨は神様が少し多めに天の水を分けてくださっているということでしょうか。この地は祝福された土地だということでしょう。
しかし、そうとばかり考えられないこともあります。雨によって大きな災害がおこつことがあります。過去には大洪水がおきたこともあります。大江小学校では100名を超える子供たちの命が流されたということをお聞きしました。東日本大震災を経した私たちは、いま神様がつくられた自然について改めて問いを与えられています。それは自然だけでなく、原子力発電所、放射線についても問われています。これまでは深く考えてこなかった問題を改めて目の前に大きな問として与えられたようです。
ただ東日本大震災で漁師さんが言われた言葉がいつも耳に聞こえてきます。「海さ悪ぐねえ。おれら海からいっぱいいっぱい恵みをおらってきたべ」。「50歳以上のもんが魚を食べればええ。原発容認して恩恵うけてたのはおれらだからな」と。神様が造られたこの世界を私たちはどのように受け取ってきたのか。これを保ちなさいと言われた神様の御心は何だったか。たくさんの問を与えられながら雨を眺めています。
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