マタイ8:27 いったいこの方はどういう方なのだろう
この話は、イエス様と弟子たちと出会ってすぐのころの話です。弟子たちはイエス様が神の子であるとは知りませんでした。信じてもなかったことでしょう。ですから、病を癒したり、悪霊を追い出したり、奇跡を行っても「いったいこの人は誰か」と思っていたことでしょう。今日の箇所ではとくにその驚きは大きいものでした。弟子たちは、ガリラヤ湖で風と波を静めたイエス様のことをみて「この方はどういう方?」という怖れにもみた感想をのべています。「いったいこの人は?」と興味を持たせる人がいます。それをカリスマと呼ぶのかもしれません。
東京に勤務していたとき、何もない土曜日に外出していました。とくに若者の街に興味があり渋谷、原宿にいってみました。渋谷はすごいところで、20分もいたら息苦しくなってしまい、そそくさと帰ってきました。そのとき渋谷で、ある読者モデルの一言が100億円の効果が生むということを聞きました。この人はいったどんな人だろうと思い調べてみました。彼女は、家庭では主婦であり、母親であり、ティーンズのカリスマであり。なにがこの人の中にあるのか。
彼女のことを特集した雑誌を読んで少しわかりました。彼女があるファッション雑誌の読者モデルであること。自分で情報を収集し、お店に通い、自分で工夫をして発言していくスタイル。つまり、彼女を支持する人に彼女は近いということかもしれません。カリスマの研究という本を読んでいましたら、カリスマとは「顔」であるとありました。その人の顔がカリスマ。風と波を叱ったイエス様の顔みてきっとそこに何かを感じたのでしょう。
弟子たちは「いったいこの方はどういう方なのだろう」と言いました。「この人は?」と思うとき、その人の中にある何かに触れます。私たちはイエス様の「何かに」触れているから、ひきつけられるのです。しかし、その「何か」には生きるために必要なものがあります。私たちに与えられている働きも神様の業です。ここにある「何か」は、聖なる勤めです。今日も与えられた務めに感謝して、主と共に過ごしましょう。
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