涼しい北ドイツから帰ってきました。毎日が20℃位で、湿度もなく、しかも静かな住環境でした。ただ、急に雨が降ったり、晴れたりを繰り返していました。どうもドイツも異常気象のようです。神様が造られた自然が悲鳴をあげていると、北ドイツの農家の方々が言っておられました。
さて、そんな北ドイツから熊本へ帰ってきました。熊本空港に着いたとたん「蒸し暑い」というより「蒸しあつか~」という言葉が口からでました。熊本の間隔が少し戻ってきたかもしれません。留守中の大雨、白川の氾濫状況などをお聞きしました。こちらも自然が悲鳴をあげているとしか思えません。実家の立野にいってみました。実家から100mのところで地滑り被害がありました。山の頂上から崩れており、民家がつぶされていました。その光景をみた瞬間に昨年のことがフラッシュバックしました。その光景は津波被害で全壊した建物とおなじ風景がそこにあったからです。
石巻の漁師さんは全壊した家の前で「海さ悪ぐねえ。これは自然災害だっぺ。おれらいままで海からいっぱい恵みをもらって生きてきたべ」と言われました。なぜこんなことが自分に起こるのか?神様がいるならどうして?と問いたいことでしょう。しかし、これは自然災害なんだという言葉に、誰も悪くない、神様に責任があるわけでないという思いが聞こえてきました。これまで神様にたくさん恵みをもらってきた、それを忘れてはいけないと言われたのです。
これでもかというくらい自然災害が続いています。その中で、それを受け取り、耐えて、また新しい希望を見つけ出そうとしておられる人々がいるのです。ただ、その漁師さんの言葉はもう一言付け足されたのです。「でもな、原発は自然災害じゃないべ。人災だべ。これをどうやって耐えていけっていうだべ」と。神様の視線はどこに向けられているのだう。