絵本作家のアーサー・ビナードさんが、広島女学院中高校の礼拝で話が「アイリスレター」として送られてきました。絵本は絵もですが、言葉のも同じように大切です。かれは言葉について次のように話しておられました。
「私が皆さんの年頃、アメリカの学校で原爆投下は『国民の命と生活を守るために必要だった』と教えられてきた。しかし、日本のヒロシマに来てであった“ピカドン”ということばが私の見方を変えた。“原爆”や“核兵器”は作って落とした側のことば、“ピカドン”は落とされた側のことばで、生活している人間にとってそれが何を意味してかを物語っている」と。また「“ことば”は世界を見るレンズにもなる。どんなレンズをかけて世界を見るかということはとても大切だ」と。この話を聞いて、たしかに原爆、核兵器という言葉を被爆者からお聞きしたことはありません。みなピカドンと言われていました。それが生活の言葉だと教えられたとき、確かにそこには生活があり、そこにいたのは兵士ではなく市民だったことを思い出しました。
今日は大江教会で平和主日の礼拝を行います。「もうひとつのヒロシマ」というテーマで、被害というレンズからだけでなく、これから平和を創造していくというレンズで考えたいと思いました。被爆したのは日本人だけではありませんでした。そのことも今日の主日で考えてみましょう。ヒロシマは私たちに何を語っているでしょうか。ナガサキは?そしてフクシマは?ピカドンのレンズでみる主日でありたいと願います。ビナードさんは生徒たちに次の詩を紹介されたそうです。
「人工の炎の 百万の羽ばたきで ロケットは 空にトンネルをあけ 天を突きぬけていった。 みんなは大喜びして どっと歓声をあげた。 神のたった一つの 思いに動かされて たねは芽を出し 土の中の闇を押し進んだ。 地面の重い天井を 突き破り 自分を宇宙へ発射させた だれひとり 拍手をする者はいなかった」