ヨハネ 20:27 わたしの手をみなさい。
手相を見てもらう機会がありました。といってもお金を払ってみてもらったわけでなく、趣味で研究している人がみてくれたのです。その方が言われるには、「牧師さん。ちゃんと信仰心の線がでていますよ」と言われました。複雑な思いと、その線はどれですかと聞きたくなりましたがやめました。手は不思議な力をもっています。手を繋いだり、手でなでたり、手は安心をうむものです。イエス様の手はいったいどんな手でしょうか。聖書の中でイエス様は、手を差し出されます。その手は愛に満ちあふれています。
復活したイエス様を信じられないトマスに、主は「手をみなさい」と言われました。それだけでなく、あなたが信じるなら傷口に触ってみなさいと言われたのです。傷口に触れられるほど痛いものありません。またその痛みによって十字架は繰り返されるのです。それでも復活されたイエス様は、手を差し出された。この手に大きな愛を感じます。手というのは不思議な力、優しさ、愛を含んでいます。
ある牧師の御母様の告別式でのことです。遺族挨拶の中で、先生が入院中のエピソードを話されました。病室では、意識不明になられても絶えず讃美歌のテープを流されていたそうです。たまに意識が戻られたそうです。その時、看護士さんが意識を確かめようと「いまどこにいるかわかりますか」と聞かれたそうです。すると御母様は「教会にいます。みんなで礼拝をしています」と幸せそうに手を合わせられたそうです。私はこの挨拶を聞きながら、この世に遺された「証し」だと思いました。神様に向かって手を合わせておられる。その手で私たちに信仰を示されたのです。
イエス様は「わたしの手をみなさい」と言われ、疑い惑うトマスにその傷のある手を差し出されました。あなたが信じるなら、傷跡にふれてもう一度痛みを受けてもよいと差し出されたのです。イエス様の愛の手はいま私にも差し出されています。
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