谷口恭教先生が天に召されました。先生はあまりにも偉大で、ユニークで、涙あり、笑いあり、慰めあり。フーテンの寅さんが大好きな教育者でした。奥様からは敬愛するガンジー様と呼ばれ、お孫さんと一緒に酒を飲む日まで生きる目標をもち、憲法9条の会では戦争の悲惨さを語り続け、車椅子で世界中をかけめぐる。この様な人がこの世におられたことに驚くばかりです。しかも「小さな紳士たれ」そのものでした。
その谷口恭教先生の中心にあったものは何だったのでしょうか。実は、2つの自筆の紙切れが書斎に残っていました。パソコンモニターが置いてあるラックの2本の支柱に貼り付けられている小さな紙切れです。右側には、M.L.キング牧師の言葉「後世に残るこの世界最大の悲劇は、悪しき人の暴言や暴力ではなく、善意の人の沈黙と無関心だ」がありました。左側には、エミリ・ディキンソンの言葉「ひとつの心が悲嘆にくれるのを止めることができたら、私の人生は無駄ではない」がありました。
3歳の時、小児麻痺で障がいを持つという人生を神様から与えられました。しかしそのことでどれだけ苦しまれたことか。「こいつは醜かもんな」という言葉に、自殺まで考えたといいます。しかしその時にこそ最愛のお母さんの言葉が聞こえてきたというのです。「これは麦ふみだ、麦ふみなんだ」と思って耐え「生きていけ、踏まれても生きていけ」と。その最愛のお母さんを戦争でなくし、自分の手で埋葬された。こんな絶望と苦しみの中で耐えてこられました。
しかし聖書の言葉が先生を変えるのです。「試練と同時に逃れる道も備えてくださる」「わたしの恵みは十分である」とパウロはいいます。それが生涯の愛唱聖句になりました。絶望のなかであっても一筋の希望をみつけだされたのです。だからこそ「ひとつの心が悲嘆にくれるのを止めることができたら、私の人生は無駄ではない」と、九州学院中学で、また退職後は不登校の生徒さんたちに真摯に向かい合われたのです。感謝。