マタイ 10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。
クリスマスの出来事の中に「旅」というテーマがいくつか散りばめられています。一つは受胎告知を受けたマリアは親類のエリサベトを訪問する旅があります。また人口調査のためにベツレヘムへの旅。そしてエジプトへ逃避の旅です。この3つの旅の中にも「神様が共におられる」ということが繰り返し語られます。私たちの人生は旅にたとえられます。自分から進んでいく旅もありますが、人生の旅は困難な旅の方が多いかもしれません。そのようなときにこそ「神様が共におられる」ことを実感することが旅の目的かもしれないと思います。
イエス様は12弟子を選ばれたあと、彼らを宣教へと派遣されました。彼らを派遣するにあたり具体的な行動と忠告を与えておられます。基本的には、「宣教の旅には何も持って行くな」ということです。神様がすべて用意してくださっているということもあります。弟子たちは行く先々で人々を教え、病気をいやし、神様の平安があるようにと祈れと言われたのです。
テレビで日本縦断をしている方々が紹介されていました。手押し車を押しながら歩いている2人。車いすで、友達に協力してもらいながら沖縄を目指す大学生。ガンの病をきっかけに、家族の記憶に残るためにマラソンで縦断しているお父さんと家族。「旅」というテーマだったのですが、それぞれにかけがえのない何かがそこにあるのだと思いました。旅といえば、豪華なホテルに泊まり楽しい計画をしたいと思います。しかし、この人たちも「自分でつかう時間」を豊かに持っているのだと思います。与えられた時間を、自分で使い、やることがある。これは豪華というか豊かなことです。信仰者はそれを自分のために使うのでなく、神様のために使うというのですから、もっと豪華なものです。
イエス様は「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」と言われました。旅する時に持たなければならないものは多くはありません。目的と時間だけだと言えます。与えられた時間を神様のために用いること。それが宣教です。弟子たちは何も持ってないようで、信仰と時間を持っています。充実した旅だったことでしょう。