マタイ 10:34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
教会の季節は待降節を過ごしています。毎日が悔改めの日々です。悔改めはギリシャ語では「メタノイア」といいます。日本語って面白いものでこれを反対から読むと「アイノタメ」となります。偶然ですがとても偶然とはおもえません。私たちは神様の愛を受け取るために、悔改めを必要とするからです。聖書の中心は十字架と復活ですが、そこに流れているものは「愛」です。聖書のどこを読んでも神様の愛を知ることができます。もしそれが見いだせなければ、自分勝手に思い込んで読んでいるかもしれません。
イエス様のみ言葉の中で、受け取りがたい、理解できないと思うものがいくつかあります。今日のみ言葉もその一つです。イエス様は罪人の救いが大切だと教えになり、愛することの意味を語られてきました。また命の尊さ、平和の意味を語られました。しかし、その教えは受け入れられず十字架の上で処刑されてしまうのです。「地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない」とは、イエス様のことを勝手に思いこまず、現実に起こることへ目をむけなさいということ。それを越えた救いを考えなさいといわれているようです。
夏の天気予報で、予報士が次のようにいっていました。「昨日から9月になりました。しかし今日も天気的には9月と思わないでください。天気は8月の前半位の一番暑い日と思って下さい。9月ではありません」と。たぶん、9月と思って「そろそろ涼しくなる」と思って油断するなということでしょう。無意識に9月になると気温が下がってくると思っています。しかし実際は、今年の天気はずっと夏の一番暑いときなのです。この思いこみの違いで、体調不良や事故が起こりやすいと言っていました。「~と思ってはならない」はとても重要なことです。
イエス様は「~と思ってはならない」といわれました。人間が勝手に想像し、神様を規定することはできません。私たちは、神様の真実をそのまま受け取るしかないのです。たとえ厳しい現実がそこにあっても、神様のみ言葉のままに生きていかねばならないのです。しかし、その真実の中に救いを見出すことができます。「~と思ってはならない」の中には、本当のことはイエス様のみ言葉にあるということです。<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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