クリスマスの後に一人の姉妹が神様のもとへ召されました。教会員の親族のかたでした。洗礼をうけておられる方ではありませんでした。彼女はもう余命もいくらもないというときに視力を失くされました。自分の死を自覚された時、従妹であった教会員さんの手に「ぼくし」と書かれたそうです。彼女はちょっと驚き「牧師先生に会いたいの?」と聞かれたそうです。その時「牧師に会いたい」と言われたそうです。そのお話しをお聞きし、すぐに病室に出かけていきました。
お会いしてすぐの言葉は「怖い」ということでした。人は死んだらどうなるか。「怖いということをどうすることもできない」と淡々と話されました。なぜ牧師を呼ばれたのだろうかと思いながら話をお聞きしていました。すると「実は佐々木千歳姉が夢にでてきたの」と言われたのです。きっと佐々木姉が伝えたいことがある。姉の信仰を思った時「牧師」と会いたいと願われたのです。
最後にそこにいた方々と祈りました。目が不自由になっておられましたので手をしっかり握って祈りました。すると大粒の涙があふれ出て、何度も祈りにうなずいてくださいました。お別れの時はとても平安に満たされておられました。それから3日後に天に召されていかれました。私にとってその一粒の涙が最後の証にみえました。平安を得て召されていかれたのです。佐々木先生のもとに。
「人生の最後の瞬間に何をしているかを考えたことがありますか」と、ある本で問われました。その本にはつづけて、人生の最後に神様が現れて「あなたは生まれ変わって、もう一度、同じ人生を過ごすことになるけれど、それでもいいか」と問われたら何と答えるかともありました。一番幸せな答えは「いろいろ大変なこともありましたが、もう一度この人生で結構です」というものでしょう。すべては神様の御心のままに生きているのですから、この人生でよいのです。