ガラテヤ 5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
手紙やメールをいただくと最後に「お体にご自愛ください」と書かれてあります。始めのうちは「ご自愛」という言葉に戸惑っていました。自分を大切にしてください。健康でいてくださいという意味でしょうが、自分を愛してくださいという意味に聞こえてくるのです。そうなると、ちょっと待ってくださいと思います。愛するということは、となり人に向けられるもので自分にむけるものではないと教えられてきたからです。でもよくよく考えてみると、自分がだめになったら人を愛することなどできないのですが。
イエス様の教えで基本的なものは「神様を愛する」「隣人を愛する」の2つです。マタイによる福音書では、金持ちの青年の「どんな善いことをしたら永遠の命を受け継げるか」との質問に、「隣人を自分のように愛しなさい」と答えられました。ただ、新共同訳と口語訳(1955年)ではちょっと言葉が違います。口語訳では「自分を愛するように、隣人を愛せよ」とあります。この「自分を愛するように」にという言葉にちょっと戸惑いをかんじていました。日本人にとっては自己犠牲を持って愛となるように思います。自分よりも相手のことを優先することです。そこに愛があると教えられてきました。しかし、イエス様は自分を愛せない者は、人を愛すことはできないと言われるのです。
次のような話があります。目の不自由な人が夜遅く友人の家から帰ろうとします。すると友人は灯りのついた提灯を渡します。その人は不思議に思い「目の不自由な私には提灯はいりません」といいました。すると、「あなたには提灯はいりませんが、あなたが持っていないと、目が見える人があなたに気がつかずぶつかって危険かもしれません」と教えてくれたという話です。この話は灯りが自分のためでもあるし、もっとその灯りは隣人のためでもあるというものです。両方にとって必要なことが愛なのです。
パウロは「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」と言っています。自分を愛することは自分のためではありません。隣人を愛するためです。自分を愛する愛し方を分かっている人は、隣人をどのように愛するべきかを知っているのです。「ご自愛ください」とは、あなたが病気になると、家族や共に生きる方々に迷惑がかかるからです。自己愛で自分勝手に生きて行きなさいという意味ではなのです。
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