マタイ 23:24 ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。
海外旅行で迷子になったとき、そばにいる人に案内をしてもらって失敗したという経験がありますか。結局わからないところに連れて行かれた。路地裏に連れて行かれて現金を要求された。いつのまにかいなくなっていた。などというトラブルに巻き込まれるケースが多いようです。やっぱりきちんとした案内ガイドか、警察にいくのがいちばんいいのでしょう。案内人を信頼して初めて案内が成立します。その案内人を信頼するにはどうすればいいのかと思います。迷子にならないようにする。これが一番なのですが。
イエス様は、律法学者とファリサイ派の「偽善」に対して激しく非難しておられます。長い言葉からなる批判ですが、大きくは3つに分けられます。1、ユダヤ教指導者の偽善への批判。2、7項目の不幸の宣言。3、キリスト教迫害の実態。本日の言葉はその「不幸」とされた1つです。ぶよは小さくても律法では汚れた動物とされています。これがぶどう酒に入らないように注意深く濾過しているのに、大きくてラクダ(これも汚れた動物)を呑み込ませている。そんなことをする案内人は不幸だと言われるのです。案内しなければならない人がその道がみえていない。これでは案内はできません。イエス様は案内人の条件として「見えている」をあげられています。この「見えている」は人生において最も大切なことだと言えます。
大型タンカーの船長だった人から聞いた話です。大型タンカーは航行中にすぐに止まれない。完全に停止するまでには3時間以上かかる。港に入っていくとき、これを計算しなければならない。また湾に入ったときには必ず水先案内人が必要となる。この案内人は3時間先にどうなるかを計算しながら状況を把握し、さらにすべての舟の位置をチェックしている。大きな流れは止められないこと、止めるためには前もっての準備と知識を必要とする。案内人には、すべての命がかかっているのだからと。
イエス様は「ものの見えない案内人」という言葉で、真実の救いへと導くこと大切さを語られました。私たちにとっては、イエス様のみ言葉が、ものの見える案内人として与えられています。今日は何を語っておられるのか、どのように命への道を案内して下さるのかを注意深く聞きとっていきましょう。
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