ルカ 23:33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
十三浜には一人の漁協組合長さんがおられます。震災前に一度組合長を引退されました。老後は奥様とお孫さんとゆっくり海をながめながら盆栽をすることが生き甲斐でした。しかし津波はそのすべてを奪っていったのです。奥様、お孫さん、そして親族の17名。漁業組合、仲間、漁場。何もかも奪われました。震災後に生き残った漁師たちは彼のもとにきていったそうです。「ここから逃げないでくれ」と。もう一度組合長になって浜を再生してほしいと。この「逃げないでくれ」の言葉で、もう一度復帰することにしたといいます。大きな痛み苦しみから逃げることはたやすいかもしれません。むしろ逃げることで平安を得たいと思います。しかし、逃げないということで、そこに最後まで寄り添っていきることの意味を見出すのです。
イエス様はもう逃げることはできません。十字架に釘づけられたのです。度重なる痛みの中で、そこから逃げることはできなくなってしまいました。しかし、イエス様は逃げることをなさいません。私たちを救うために、逃げることはできないのです。私たちの救いを全うするには、この痛み苦しみの中で生きるしかないのです。死を生きるしかない。それが十字架の意味です。
【第十一留 イエス、十字架に釘付けにされる】
司式:十字架は地上に倒され、主のみ手はその上におし延ばされました。主は傷ついた体を天の父に捧げられるとともに、十字架に釘で打ちつけられました。
主よ、どうか私たちの心も一緒に十字架に釘付けにし、あなたと結びあわせてください。また、私たちが死に臨んで、自分の魂をみ手に委ねることができますように。
一同;あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
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