ヨハネ 21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
携帯電話ラストコールサービスと言うのがありました。いまはもうききません。これは電池がなくなっても、最後に1分間だけ話せる機能がついているというものでした。たぶん普段は使用しないでしょう。しかし、もし自分がこの世で最後のときにこのサービスがあったら誰に、何を話すだろうと考えてしました。最後の最後に言う言葉は一体何になるのだろうかと。
先ほど読んでいただいた聖書の箇所は、イエス様とペトロのこの世での最後の場面です。復活したイエス様はペトロに3回聞かれています。「わたしを愛しているか」と。多くの意味を含んでいると思います。十字架のとき3回もイエス様を知らないと否定したペトロ。だから同じように3回も聞かれたのだと。そうなるとイエス様はペトロを裁かれたのでしょうか。しかし、何度も読んでいるとイエス様の大きな愛を感じる言葉です。わたしにはイエス様がペトロに「わたしはあなたを愛しているよ」と伝えたかったのではないかと思うのです。最後に何を語るか、次のような詩があります。
「最後だとわかっていたなら」ノーマ コーネットマレック・作
"If I Knew It Would Be the Last Time"
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でも もしそれがわたしの勘違いで、今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
イエス様の大きさは、計り知ることができません。その大きさはペトロに「愛しているか」というみ言葉に集約されているように思います。その大きさに触れたペトロは「悲しくなった」のです。こんなに自分を愛しておられる方がいてくださるという胸を打たれる悲しさだったのでしょう。