ヨハネ 20:27 トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
「信じているということは、もうそれ以上疑わないということではない」。信じたいために、疑い続けることもあるのではないでしょうか。ディドモと呼ばれたトマスのことを思うたび、この言葉が胸をよぎります。
イエス様が復活して弟子たちの前に現れた時、トマスだけがそこにいませんでした。他の弟子たちの「わたしたちは主を見た」という言葉に、自分だって復活されたイエス様と会いたいとどれほど願ったでしょうか。そんな苛立ちが。「触ってみなければ、決して信じない」というトマスの言葉となりました。そこからは「信じたい」という叫びが聞こえてくるようです。
そのトマスに、復活のイエス様は「あなたに平和がある」といわれました。トマスの疑いを責めることもなく「触ってごらん」といわれるのです。あなたが信じるのであれば、あの十字架の痛み苦しみを繰り返し味わってもよい、とまで言われるのです。イエス様はそこまでして信じさせてくださるのです。
4月になり、入園・入学の季節になりました。特に保育所などは大変な時を迎えます。いままで一緒にいた親と別れ、保育所での共同生活となります。初日は速い子では園生活が1時間もたない子をいるそうです。客観的にみたら微笑ましいですが、本人は大変な思いをしているのでしょう。保育所生活でまず大切なことは、必ず親が迎えにくるという安心感。親を信じている子供の心を裏切らないということです。「5時に迎えるに来ると約束したら、必ず5時までに来ること」。約束を守る積み重ねが、信じる心を育てていくのです。
疑いは責められることではなくむしろ、イエス様の復活を信じる信仰への近道だと思います。「さあ触ってごらん、あなたの疑いがはれるのであれば、この傷の痛みを繰り返すよ」そんなイエス様の声が聞こえてきます。イエス様は約束を守り復活され、愛をもって導き、信じる心を与えて下さるのです。
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