2コリ 5:17 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
日曜日に教会の方々のお力をお借りして引っ越しをしました。これで10回目になります。引っ越しをするたびに思うことは、無駄な物をたくさんため込んでいるということです。良い整理の時ですが、面倒からかまたしまいこんでしまいました。本当はこの時に整理しないとできないことは分かっていますが。新しい環境には、新しい自分でと思います。しかし、いつだって人は過去を捨てられないものだと思います。どうすれば新しく創造された自分になれるのかなとも思いますが。
パウロは「キリストと結ばれる」という言葉を使います。2コリの5章16節以下には「キリストを知って」「キリストによって」「キリストを通して」「キリストに代って」という言葉が並んでいます。これらの言葉を考えると、キリストと結ばれるということは、キリストと共にあることです。その上でキリストと共にあるということが、新しく創造された者であると言います。新しく創造された者とは、キリストの十字架と復活と共にあるという意味です。
ヘレン・ケラーの言葉に「苦しみの扉が一つ閉まると、またひとつ新しい扉がひらく」というのがあります。彼女の人生は苦しみの連続でした。いくつもの障がいをもち、困難にあい、苦しみの扉はいくつも閉められていったと話しています。しかし、苦しみの扉がしめられても、かならず新しい扉が開いていたというのです。神様は苦しみの扉を閉めたままにせず、必ず新しい扉を開いてくださると。ただ、人間は閉じられた苦しみの扉ばかりをみて、新しい扉が開いたことに気がつかないとヘレン・ケラーは言っています。
パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者」と言います。私たちはキリストに結ばれて、毎日新しく生かされています。今日の命は今日与えられています。古いことに目を向けて学ぶことは大切ですが、そこに留まってはいけません。苦しみの扉ばかりを見ていると、新しい扉が開かれていることに気がつかないからです。
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