マタイ 6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。
自分にとって価値のあるものは変化します。皆さんも幼稚園の頃は、庭で捕まえたダンゴ虫や泥団子などが自分の宝物だったことでしょう。お人形さんや絵本を宝物にしていた人もいるでしょう。しかし成長した今となっては宝物は変わってきているはずです。また変わっていなければ大変です。それでは今現在の宝物、自分にとって価値のあるものは何ですか。はっきりと答えられる人が何人いるでしょうか。お金、財産、友達、ある人は携帯、スマホと答えるかもしれません。しかしなぜそれが宝であるか、価値があるかをじっくり考えてみてください。すると、自分の人生にとっても価値観、生きる意味がわかってくると思います。
さて、イエス様の指摘は私たちの心に鋭いものがあります。本日は「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」と言われます。人から認めてもらう、称賛をえることをあてにした行いは、それが善いことであっても所詮は地上に富を積み上げることにしかならない。なぜなら、そこに自分の心、自分の関心、自分のこだわりがあるからです。イエス様は、「本当の富とは、天に積むものだ」と言われます。心がそこにある本当の富、その富の価値とはいったい何かが問われます。いったい私たちは何に価値をおいているのか、むしろ何にとらわれて、大切なものを見失っているかを気づかせてくれるのです。
「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義著に書かれてあった話です。ある知的障がい児童施設での出来事です。社会にでても通用するようにお金の価値の勉強をしていました。1円から500円までの硬貨を順番にならべ、お金の価値を学ぶというものでした。一人の女の子に先生が「一番大切なお金はどれですか」と聞きました。すると笑いながら10円を指しました。先生は何回も「500円が一番大切よ」と教えましたが、女の子はいつも10円を指すのです。先生は困り果て「どうして10円が大事なの」と聞きました。すると女の子は「だって、この10円をあの公衆電話に入れたら、大好きなお父さんの声をきけるから」と答えました。この女の子にとって本当に価値があるのは、お金の額ではなくお父さんの声をきくことだったのです。
イエス様は「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」と言われました。自分は何に価値を見出しているか、それは天にあるものかどうかを点検してみなければなりません。今日与えられている働きの中で、天に富を積む働きは何かを考えなら過ごしましょう。
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