マルコ 2:17 医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
ワードバーグ大学ウインドアンサンブルの演奏旅行も終了しました。すでにアメリカに無事に帰りついたと報告をいただきました。何事もなく、みんな楽しんで下さったことに感謝します。しかし、準備する側からすると今回はホームステイでは苦労しました。ホストファミリーを探すのに時間がかかりました。日本人は「お招きする」という意識があり、普段の生活に招くことが苦手なようです。部屋の清掃からはじまり、食べ物を考え、時間の配分、楽しさをと考えると招くことができなくなるようです。それでも今回ホストをして下さった家族の皆さんからは「やってよかった」という言葉をいただきました。
イエス様は、徴税人レビが収税所に座っているのをみられました。そして「わたしに従ってきなさい」との一言で彼を弟子として招かれ、そこで一緒に食事をされました。これを見たファリサイ派の律法学者たちはイエス様を厳しく批判しました。徴税人は律法に即した正しい生き方をしているとはみなされず、罪人とされていたからです。それに対して言われたみ言葉が「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」というものでした。
マザー・テレサの言葉に「訪ねて来た人に、来る前よりもいい気分、幸せな気分になって帰ってもらえるようにしましょう」というのがあります。これは客を招く時の最低限の礼儀であり、おもてなしだと思います。しかし、マザー・テレサはもう一言付け加えています。「あなた自身が神の優しさを表現する人になりなさい」と。私たちは神様の優しさを表現するという視点をもって、人と接することが大切だと思います。イエス様ならどうされるかを、つねに考えて行動することが求められています。
イエス様は「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われました。本当に救われなければならないのは罪人です。罪人とされている人たちもいます。イエス様はあえて自分を正しいとしている人たちにではなく、本当に救いを待っている人たちのところに行かれました。神様の優しさの表現は、このイエス様のみ言葉と行いでよくわかります。
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