牧師としての恩師・石橋幸男牧師が危篤ということで大阪にお見舞いに行ってきました。先生は遺言として「何かあったら、葬儀のことは立野牧師にすべて頼んである」と言われたそうです。そういえば笑いながら言っておられたことを思い出しました。昨年の10月に脳梗塞で倒れられたときも再び「立野牧師に」と言われたそうです。会話ができたのはそれまででした。
長男の幸成さんから電話をいただき、改めて驚きました。石橋先生はなぜ私などを選んで葬儀をまかされたのだろうかと。幸成さんが私の九州学院の同級生だから?西教区の後輩だったから?引退後に益田教会に嘱託として働かれたときによく話をお聞きしたから。
石橋幸男牧師と言えば、日本福音ルーテル教会の中でも愉快豪快爽快な大牧師です。こんな牧師は見たことがないというユニークな牧師です。先生の人生の前半は病気との死闘、結核、盲腸他、死ぬことを常に見据えての人生。しかも戦争がそこにある。英語をきっかけに教会と出会い、紆余曲折あり神学校へ。牧師となってアメリカ留学。そのれでも結核との戦いはつづく。その中から見出した信仰。それは苦しみ痛む十字架の主だったそうです。そのことは「じいちゃんまたね」「ばあちゃんまたね」という2冊の本に書かれてあります。
先生は息子への遺言はすべて2冊の本の中にあると言われたそうです。それを私も必死に探しているところです。私にも「葬儀はその信仰者の最大の伝道の場」ということを言われていました。そうなんです。石橋牧師の最後の大伝道を任されたのです。それをなしてほしいと言うのが先生の願いなのでしょう。
いま石橋幸男牧師大伝道礼拝の準備をしています。先生の願いどおりの伝道礼拝ができるようにお祈りください。先生が熊本で初めて宿泊されたのは、解体される牧師館。