マルコ 1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
東日本大震災に立てられた仮設住宅に幽霊がでると聞いたのは震災から半年たった頃でした。隣の家の前に立っていた。子供が川を渡っていた。屋根の上から空へ登って行った。確かに見たと言われるのです。そこで幽霊を見にいこうということになりました。その前に被災者の方々の話をお聞きすることにしたのです。すると共通する一つのことがわかりました。それは自分の家族の幽霊しか見ないということです。幽霊の正体は家族への思いの深さでした。思いが深いからもう一度会いたいと願う。それが幽霊の正体ではないかと思いました。私達にはいっさい見えなかったのです。
イエス様は会堂で話しをされました。すると、汚れた霊に取りつかれた男が「かまわないでくれ。俺たちを滅ぼしに来たのか」叫びました。汚れた霊は、イエス様の「み言葉の教え」と「存在」に脅えたのです。イエス様の中に神様を見たからでした。そして言うのです。「正体は分かっている」と。イエス様の「神の子」としての存在とみ言葉が、汚れた霊にとってどんなものであるか、その存在ゆえに自分がどうなるのか分かったのです。その後、イエス様はこの汚れた霊を叱りつけました。そしてこの人を救われました。イエス様が誰か「分かること」で救われるのです。マルコは汚れた霊の方がそれをよく知っているというのですが。
「ファシリテーターの道具箱」という本の中に、「メンバーの取り扱い説明書」というものがあります。グループに新しい人が入ってきたときなどや、チームの雰囲気を変えたいときに使う方法です。人をあえて「商品」に見立てて、その人の「取り扱い説明書」をグループで作り共有するのです。中身はまず1、商品の説明(仕様)(用途)。2、商品の「私」の上手な使い方。3、取扱注意(これだけはやっていけない)。4、上手なお手入れ~いつも元気でいるために~。お手入れの方法。など。人を商品にみたてるのはあり得ないことですが、これを家族でつくってみたら面白いだろうなと思いました。自分が自分をよくわかること、一緒にいる人が自分を分かってくれること。この2つが大切なのでしょう。
聖書には「正体は分かっている。神の聖者だ」と記されています。この男の言葉は、イエス様のことが分かったので、これ以上なにもできないということです。私たちはイエス様がよく分かっているので、平安でいられるのです。自分と自分を支え導いてくださっているお方が分かるということは素晴らしいことです。
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