1テモテ 1:16 わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。
「自分の背中で子育てをしたい」と言っていた友人がいます。好き勝手な生き方をしていても、子どもたちには親がやっていることを誇りにしてほしいと言うのです。確かに子供に親の生き方を教えるのは難しいものです。しかも、それを背中でというなら自分の生き方にきっぱりとした筋を通しておかねばならないと思います。子供の手本となる生き方って難しいなと思います。
パウロは、若い弟子テモテに自分がうけた憐れみについてのべています。パウロは、イエス様とその信者を迫害してきた者でした。そのパウロに対して「イエス様の限りない忍耐」を知り、自分の生き方を見直したのです。そして自分が「手本となる」ことを決断したのです。
広島で75年間製菓業を営んでこられたお菓子屋さんが廃業するという記事を読みました。社長さんは会社を終了するのではく「卒業」という言葉を用いておられます。もう十分に製菓業の道を走り通して、その人生に悔いのないという言葉の現れが「卒業」なのでしょう。卒業したら入学が待っているように、これからの生き方をすでに定めておられるのです。残された人生のうち10年間は、すべてボランティアに生きるそうです。伝統の味は若い経営者に引継ぎ、自分たち夫婦は新しい「仕える」生き方を選ばれたのです。これもまた人生の手本のひとつです。
パウロは「人々の手本となる」と宣言しています。この宣言ができるのは、それまでの人生を忍耐強く見守り導いたイエス様をしっているからです。私たちもいま与えられている働きを卒業するとき、支えられてきた恵みに感謝することができるように。そして次の人生の目標を定めることができるようにと祈ります。
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