ゼファニヤ 2:3 主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきたこの地のすべての人々よ、恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に、あるいは、身を守られるであろう。
予想もしない出来事が起きると人はパニック状態になります。このパニックというのを何度か経験したことがあります。特に東日本大震災のときでした。被災地でもそうだったと思いますが、とくに東京でのパニック状態は深刻でした。たった一つのニュースで、人間が何十万人もアタフタと自分のあるべき姿を忘れてしまったようでした。冷静に考えれば出来ることが、なにをやっているのかわからない。これがパニックなのでしょう。そんな時にどうするか、一呼吸おいて祈ればいいと思います。
ゼファニヤは、主の日について語ります。主の日とは、「主の審判の日」「主の判決が下される日」「主の怒りが燃える日」です。ゼファニヤは、ユダも人々は主の戒めをまもり苦しみに耐えてきました。その人々に主の日が来る前に、3つの「求めよ」を告げています。「主を求めよ」「恵みの業を求めよ」「苦しみに耐えることを求めよ」と語りかけています。神様はかならず憐れんでくださることが前提なのです。
東日本大震災のとき、首都圏大規模停電のニュースが流れました。多くの人たちが帰宅パニックになりました。結局停電はしなかったのですが、都市の弱さを教えられました。また、福島原子力発電所事故情報が正確に伝わってこないためか、海外からの人々の日本脱出がとまらないようです。物の買占めも以前よりはよくなりましたが、いまでも続いているといいます。震災が起こった頃は、ガソリン不足が都内でもおこり、供給されないため現地に救援に向かうことも、現地で活動することもできない状況でした。それでも救援活動のため、あらゆる方法をつかって現地に向かう道を模索していました。そのような時こそ、主に求め、主に祈り、主の御心に従って、冷静になり、活動を展開することが求められていました。
ゼファニヤは「主に求めよ」「恵みの業を求めよ」「苦しみに耐えることを求めよ」と告げています。かならず神様が憐れみ、導いて下さるからです。祈ることによって冷静になり、主を求めることで道を見いだしていきたいと願っています。震災支援活動は、すぐにできること、長くできること、求められている物は何かを祈り求めることです。すべては神様が導いてくださると信じているからです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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