朝礼拝もお盆の3日間はお休みをいただきました。(ブログは続けていましたが)。朝ゆっくりする時間はとれるのですが、やっぱり生活のリズムは乱れるものです。あっという間に昼・夕となり、1日何していたのかと反省しきりでした。それでもゆっくりとした時間はとれ、秋に向けての宣教・礼拝についてあれこれ考えていました。
昨日は宇土教会の礼拝でした。少し早めに大江をでて「何か面白く、新しい宣教はないかな?」「もっと楽しい礼拝はできないかな」「外にむけて発信できる伝道は」と思いめぐらせていました。すると、宇土駅に近づいたときに車を列車が追い越していきました。すると一瞬で神学生時代にタイムスリップしたのです。その列車が「蒸気機関車」だったからです。
天に召された私の父は、蒸気機関車の機関士でした。いまなら絶対できないと思いますが、熊本駅から立野駅まで運転席に乗せてくれたことが何回かありました。トンネルを通るときにはガスマスクを着けさせられて。蒸気機関車と言えば、父との思い出。もっと言えば父を思い出す唯一のものです。その父との思い出にタイムスリップしたのです。
父が天に召されたのは神学生の時でした。召される1日前が最後の会話でした。その頃は牧師になる自信がなく、何回も休学を繰り返し学校から逃避行していた時です。やっと踏ん切りがつき、もう一度神学校に戻る決意を父に話しました。すると「おまえがそぎゃん思うなら、がんばらなんたい」が最後の言葉でした。
宣教も色々な苦しみや困難ななかの手探りかもしれません。しかしそうしながらでも前へ進むというちからと、励ましが一番大切なことだと思います。