マタイ 20:19 そして、人の子は三日目に復活する
親の心、子知らずと言う言葉があります。同じように、子の気持ち、親知らずと言うのも当たっているかもしれません。誰も、自分以外の人の心がわかるとは言えません。自分自身の心さえもわかっていないかも知れないのです。たぶん、自分の考えにあてはめて、わかっているように思っているだけなのでしょう。だとすると、わかっているふりをせず、聞いてみるのが一番早いと思います。
ガリラヤでの活動を終えられたイエス様は、弟子たちと共にエルサレムに向かわれます。その旅の途中で、弟子たちだけにエルサレムでおこる「受難と復活」について予告をされました。この箇所は3度目の予告になります。この予告に対しての弟子たちの反応は書いてありません。どのように答えたらよいかわからなかったのかもしれません。しかし、弟子たちはイエス様の真意を理解してなかったようです。
ある本に次のような事が書いてありました。「ある日、皮膚科の医院に行った。自分の前には小学三年生くらいの女の子が診察を受けていた。お母さんが子どもに代わって、か細い声で症状を訴えていた。先生が女の子に語りかけた。『からだが熱くなったら、かゆいやろ。かいたらあかんといわれても、かきむしってしまうんやな』。そのとき、女の子が突然大きな声で叫んだ。『大当たり!』。お母さんは顔を真っ赤にした。看護婦さんはゲラゲラ笑いだした。先生はその『大当たり!』がいたく気に入ったらしい。『そうや、そうや、先生の診察はよく当たるんや』」。とっても微笑ましい話です。しかし何か深いことを教えてくれます。
イエス様が十字架につけ殺されてしまう。そのようにイエス様に言われたとき弟子たちは恐れました。本当はその時、弟子たちは間髪をいれずに「そして、三日目に復活する」と答えることができれば、イエス様に「大当たり!」と言ってもらえたことでしょう。イエス様のみ心を知ることの難しさを思います。しかし、み心を知ることでしか救いは得られないのです。
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