プライオリティ〈優先順位〉という言葉があります。これは「高い」「低い」という度合で言われているようです。プライオリティが低いといわれる場合は、優先順位が低いので後回しにしてもよいという具合です。しかし、優先順位に高い低いもあるのかなと思います。全てが優先順位である場合はどれをとってもしなければならないことなのです。
事務局で勤務していた時の話です。国の行政官で、教会の信徒のである方に聞いた話です。教会はプライオリティということがわかっているだろうか。国の行政でプライオリティという場合、他の全てを捨ててそれに集中することをいう。また、それができるまでは他にはいっさい手をつけないことだ。信仰の世界もイエスのみ言葉に集中し、イエスに従うことがプライオリティなはず。いかし、現実の教会はそうなっているかということでした。
大江教会にプライオリティは何だろうと考えています。私の具体的なプライオリティは礼拝出席を100名にすることです。そのためにアイデアを絞りだし、外にむけてできることは何でもしてみようと思っています。今日の童謡を歌う礼拝もその一つです。しかし、それがうまくいくとは限りません。そんな中、元中日ドラゴンズの落合監督の言葉を読みました。落合監督ほどプライオリティをよく理解している人はいないかもしれません。彼はこう言っています。「前向きにもがき苦しむ経験は、すぐに結果に結びつかなくても、かならず自分の生きる力になっていく」と。
大江教会が100人礼拝になるためには、ともに前向きにもがき苦しむ経験が必要だと思います。なんとかしてこの教会に一人でも多くの方を招くこと。連れてくること。そのための楽しい、喜びに満ちた礼拝に何度も挑戦しているのです。