マタイ 10:34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
自分の思い込みがあるために、失敗してしまうことがあります。はじめからこうだと決めてかかって、他のことが考えられなくなります。私たちは神様を優しくて、穏やかで、全てを赦して下さる方と信じています。しかしその確信はどこからくるのでしょうか。聖書にはそのようには書いてはありません。もしかすると人間が勝手に思い込んでいるだけかもしれません思い込みを失くすためには何度も聖書を読み、真実の神様をしることです。
イエス様のみ言葉の中で、受け取りがたい、理解できないと思うものがいくつかあります。今日のみ言葉もその一つです。イエス様は罪人の救いが大切だと教えになり、愛することの意味を語られてきました。また命の尊さ、平和の意味を語られました。しかし、その教えは受け入れられず十字架の上で処刑されてしまうのです。「地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない」とは、イエス様のことを勝手に思いこまず、現実に起こることへ目をむけなさいということ。それを越えた救いを考えなさいといわれているようです。
今朝の天気予報で、予報士が次のようにいっていました。「今週から9月になりました。しかし今日も天気的には9月と思わないでください。天気は8月の前半位の一番暑い日と思って下さい。9月ではありません」と。たぶん、9月と思って「そろそろ涼しくなる」と思って油断するなということでしょう。無意識に9月になると気温が下がってくると思っています。しかし実際は、今年の天気はずっと夏の一番暑いときなのです。この思いこみの違いで、体調不良や事故が起こりやすいと言っていました。
イエス様は「~と思ってはならない」といわれました。人間が勝手に想像し、神様を規定することはできません。私たちは、神様の真実をそのまま受け取るしかないのです。たとえ厳しい現実がそこにあっても、神様のみ言葉のままに生きていかねばならないのです。しかし、その真実の中に救いを見出すことができます。
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