ルカ 18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。
保育所のチャプレンをしていたことがあります。ある時、給食の方が困っておられました。話を聞いてみると、一人の子どもだけ何のアレルギーなのかわからないというのです。給食を食べると、アレルギー反応がでるけれど、それが他の子とは違うと。給食の方はアレルギーが出た特の半年間調べて、やっとあることがわかったのです。それは。その子供は「冷凍の赤魚」にのみアレルギー反応する子だったのです。ピンポイントを見つけ出した給食のおばさんの忍耐と努力に感謝でした。
イエス様がエリコという街に近づかれた時、ある目の不自由な人が物乞いをしていました。イエス様がそばを通られるときいた彼は、「わたしを憐れんでください」と叫び続けます。あまりに騒がしかったのか、人々は彼を黙らせようとしたのです。それでも彼は叫び続けました。するとイエス様はそれに気がつき、立ち止まられたのです。
アメリカの話題ですが、ホーム動画というものが人気だそうです。自分が買ったものを紹介した動画をウェブページでアップするのだそうです。人気がでると、毎日何十万件というアクセス数になるといいます。小さなテレビ番組作りのような感覚ではないかと思います。これに熱中しているのは家庭の主婦たちです。彼女たちに何が楽しいのかを聞いてみると、自分の感性に「反応がある」ということらしいです。簡単なコメントでもいい。とにかく誰かからか「反応」があることで、自分を確認できるというのです。自分が生きていることに、何か反応を感じるときに生きがいが見いだせるのです。
目の不自由な人の叫びに、イエス様は立ち止まるという反応を示されています。彼のために進む足を止められたのです。この反応は彼の救いへとつながっていきます。イエス様が「何をしてほしいのか」との問いに、彼は「主よ、目が見えるようになりたいのです」とすぐに答えました。この反応が信仰というものです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>