2コリント 8:14 あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
毎日のように「ゆとりある生活がしたい」と思っています。時間に追われず、金銭も気にせず、食べ物は与えられて。そんなゆとりがあればと。しかし、それが本当のゆとりなのかなと思うのです。自分にとって一番必要なゆとりは、心のゆとりです。この心のゆとりが増えれば、周りの方々の心の欠乏を補うことができるのですが。自分のことばかりで精一杯が現実です。
パウロは、コリントの人々にむけて自発的な施しの薦めをしています。コリントの人々はいま繁栄の中にいます。きっと何かの事情で募金活動がとまったのかもしれません。そのコリントの人々の心に訴えている箇所でもあります。パウロはここで、現在の立場と将来の立場が入れ替わる事を想定して、将来を見据えた「平等」を教えています。その教えの中に「ゆとり」という言葉がつかわれています。
航空会社の機内誌に、世界の面白グッズの紹介があります。今月号では「ドイツのキャンドルクロック」が紹介されていました。長いローソク(蜜蝋)に釘のようなピンが数本刺さっています。ローソク台は金属のトレイになっています。ローソクが燃えて行くとピンが金属のトレイに落ちて音を出すという仕組みです。ろうそくの燃え方で大まかな時間の流れがわかるのです。このローソクの解説に次のように書いてありました。「正確な時をはかるのでなく、時の流れを知らせるだけの時計」。時間の意味を考えさせられました。時の流れを知るためだけのローソクこそ「ゆとり」の時間かもしれません。
聖書の中では「ゆとり」と言う言葉はここにしかありません。神様が与えてくださる「ゆとり」とは神様の恵みによるものです。それをどのように使うかは私たちに任されています。パウロは、それを自分たちのためだけに使うことのないようにと教えているようです。
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