1コリント 3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
なんでも自分でできると勘違いしている人たちがいます。若い頃の自分がそうだったと思います。世界は自分を中心としてまわっていて、自分が決めたとおりになると。しかし、社会人になるとそれが間違いだったことに気がつきます。自分だけしか見えてないことから、他人をみなければならない状態になるからです。その時にはじめて自分だけで生きる事が出来ないことを悟るのです。その時に「共に」ということが理解できるのでしょう。
パウロは教会を、神様が奉仕者たちを用いて「耕作する畑」「建てる建物」といいます。ここに神様の同労者であるという表現が用いられています。これは神様と共に働く者という意味ではなく、神様のために、神様に用いられて、私たちが共に働く者という意味です。神様と同じことをしているという意味ではありません。
組織の中で心が落ち込んでいく原因は3つあるといいます。それがひどくなると鬱(うつ)になるそうです。その3つ思いは、1)誰からも好かれたい。2)完璧にしようと思う。3)自分の思い通りになる環境を求める。だそうです。この3つ目がなかなか難しいものです。自分の思い通りの環境に人を合わせることを求めるのです。自分があわせるのではなく、人を自分に合わせようとする。それは、人を無理やり作りかえることです。それができないことに苦しみ落ち込んでいくのです。自分の方がその環境に合わせて、その中で何が出来るかを考える方がよいのですが。
パウロは「わたしたちは神のために力を合わせて働く」と教えています。力を合わせて行くということは、自分一人ではできません。お互いが合わせていかねばならないのです。しかしその目的は一つです。「神のために」。この目的がはっきりしてから、「合わせる」ということの意味もはっきりするのです。
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