フィリピ 4:14 あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
オリンピック招致のスピーチから「おもてなし」という言葉が流行しています。とても素敵な言葉だと思います。おもてなしの語源は「物を持って成す」ということです。しかし、もう一つの語源は「表裏なし」、つまり表裏のない「心」でお客様をお迎えすることです。その裏表ない心がよしとされ、お客様を招くときにもちいられるようになったそうです。日本語の美しさは言葉の意味にもあらわれています。
パウロは、フィリピの教会からの贈り物に感謝しています。そのなかで「心遣い」という言葉を用いています。具体的には、獄中にいるパウロの患難に共に与るということです。パウロにとって全てに耐えることが出来てきたにしても、「共にある」ことがとても重要でした。苦しみを共にしてくれたことはパウロにとって大きな支えとなったのです。そこに感謝しています。
毎年教師試験の課題が決められ、志願者に送付されます。一昨年は、東日本大震災を通して、キリスト者・教会に問われていることが課題となりました。小論文として「現代社会における苦難と救いについての神学的考察」5000字が出されました。私たちそして教会は、東日本大震災をとおして何を学び、宣教について何が変わったのかを問われています。もしなにも変わらないとすれば、社会における苦悩と救いについてどのように向かい合ってきたのか。このままでよいのかを考えねばなりません。神様のみが与えることができる「慰め」とは何でしょうか。
パウロは「苦しみを共にしてくれた」といいます。私たちは自分一人では耐えることのできない多くの苦しみがあります。その苦しみを一人では負わず、共にして下さる方を知っています。その方がおられるので、この苦しみに耐えることができます。私たちにとって苦しみを共にしてくださるのは、神様です。
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