ルカ 4:20 会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
自分はいま何に興味があるか考えてみました。少し前なら、陶芸やパン作りと答えましたが。今は何か、時間がないと思うばかりです。仕事が趣味になってはいけませんが、いまのところ大江教会の宣教に興味があります。どうすれば100人礼拝になるか。1000人礼拝が達成できるか。牧師としては当然の興味に思えます。
イエス様は、ユダヤ教のきまりに従って安息日には会堂で礼拝をされています。当時の礼拝は「シェマー(聞け、イスラエル)」で始まり、祈り、聖書朗読と続きました。その聖書朗読の時にイエス様に巻物がわたり、イザヤ書を朗読されたのです。その内容が「主の恵みの年を告げる」というもので、この解釈について人々の目がイエス様に注がれたのです。何を語られるかに興味津津だったと言えます。
毎年秋に宣教会議が行われています。ある時の会議の中で、現代の教会は若い人たちにとって魅力のある場ではないという意見が出されました。若手牧師が、教会に新しくきた青年にきいたところ、いまの自分が興味ある順番を教えてくれたそうです。1、バイト・学校。2、友達と遊ぶ。3、時間がありヒマなら教会。中高生ならば1、部活・クラブとなるそうです。なるほどだと思います。あと加えて牧師の子どもたちが礼拝に出席しないということも言われました。なぜ牧師の子どもが礼拝にでないのか。教会に興味がないからでしょうか。
イエス様が聖書を朗読されたあと「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」と、ルカ福音書は記しています。イエス様が次に何を言われるか、みな固唾をのんで見守っていたのです。そこから聞こえてきたのは救いの言葉でした。み言葉や教会に魅力がないわけではありません。魅力がないようにしている私たちの問題だと思います。生き生きとした福音をいただいているかどうか、自分自身を点検してみなければなりません。
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