2コリント 2:17 わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
神学生のとき、このみ言葉を読んで衝撃を受けました。「神のみ言葉を売り物にせず」とパウロが言っているからです。牧師は説教が仕事だと思っていました。すると説教を売り物にしているのではないかと思ったのです。神様の言葉を売り物にしないということを常に考えるようになりました。いまでは、神様の御前でキリストに結ばれてということが大切なのだと理解しています。
キリストの福音は、「救われる者たちには生命を与える香ばしい香りである」と、パウロはいいます。そのパウロにとっての問題は、誰がその福音を語るのにふさわしいかということでした。パウロは福音を語る自分の立場として「神の言葉を売り物にせず」「誠実に」「神に属する者として」「神の御前で」「キリストに結ばれて」ということをのべています。福音にたいして純粋であることを訴えています。
ある本で読んだことです。アフリカから日本にきて、20年も日本に住んでいる方がいます。日本語もとても流暢で、会話には何の支障もありません。その彼と話していたときのことでした。会話はできるけれど、どうしても理解できない日本語があるというのです。それはテレビのニュースだそうです。読み書きを学んでこなかったので意味がわからないのかもしれないと言われていました。しかし、問題はそれだけではないと書いてありました。ニュースを読むアナウンサーが、書いてある原稿を理解せずに棒読みにしているので、聞いている人に伝わらないというのです。言葉は伝えることを理解し、伝えようとする心がないと人には届かないということです。
パウロは「神の言葉を売り物にせず」「誠実に」と言っています。報酬をあてにせず、純粋に語るのだというのです。福音を伝えるとは、伝えるものが純粋にみ言葉に向き合っているかが問題です。教会の牧師に神様から与えられている務めは、福音を伝えることです。そのことに純粋であってほしいという声が聞こえてきます。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>