ヤコブ 3:5 舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
明日は大江教会恒例のバザーが行われます。これまでバザーのある教会に赴任してきませんでした。ですから、バザーが教会にとってどういうものなのか、この2年でじっくりみることができました。感想としては「何か本来の意味がわからなくなってきた」のではないかと思います。バザーをすることによって、何をしたいのか。売上をあげたいのか、人を教会に招きたいのか。バザーのためのバザーになっていないかと心配になりました。原点に立ち返ることを神様が求めておられるように思えます。
使徒ヤコブは、教会内の意見対立や争いについて教えています。その1つである言い争いの原因は「舌」であると言います。使徒ヤコブは、自分の舌を制御できる人は、全身を制御できると教えています。全身を制御できるということは、神様に従うことができるかを意味します。すべての者が、神様の御心が何であるかを考えそれに従う時、解決の道は開けると言えます。それができず自分の考えのみを中心におけば、どんな小さな火でも大きい森を燃やしてしまい、取り返しのつかないことになると警告しています。
ある本の中に、イスラム教徒で平和運動家であるブカリ氏の言葉を見つけました。彼は「全人類に対する愛を心のなかに持っていなければ、イスラム教徒になれない」と言っています。ブカリ氏は「ジハード(聖戦)」を「人が怒りを克服するための日々の闘いである」と解釈していることが書いてありました。彼は、ユダヤ教の人々とも協力して「経典の共通点97%を無視し、わずか3%の違いをめぐって」闘うのをやめるようにと訴えているそうです。この3%は何を意味するのでしょうか。それをめぐって闘うのではなく、それを認めてお互い生きる道はないのかと思います。
ヤコブは「どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう」と教えています。わずか3%の違いが大きな紛争になり、それによって多くの人々の命が奪われている。それを避けるためには、97%の共通点に目をむける道を選び、理解しあえることを増やしていくことしかありません。違う3%を認め合うことができればと思います。神様の御心は闘うことではなく、人々が平和に暮らすことを望んでおられるからです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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