エフェソ 2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
テレビのニュースで、ベツレヘムのクリスマス礼拝が紹介されていました。今年は礼拝が出きたのだと嬉しく思いました。紛争の時には礼拝もすることが出来ず、一番お祝いしなければいけないところで、何もできないという暗いニュースもありました。しかし、そこにいるクリスチャンたちは諦めずに、クリスマスをお祝いしてきたのです。今年はクリスマス礼拝ができたというニュースは世界のよろこびです。しかしいつそれが出来なくなるかの危険性もあります。平和をたえず創造していくことの大切さを教えられます。
パウロはキリストのことを「わたしたちの平和」であるといいます。それは、ユダヤ人であろうと、異邦人であろうとその十字架の死によって「壁を取り壊した」からです。二つのものを一つにするとき、必ず「敵意」というものが生まれます。その「敵意という隔ての壁」を取り壊すには、イエスの十字架での犠牲が必要だったと聖書はのべています。
イエス様がお生まれになったベツレヘムは、いまや監獄になったという8mの壁の中で、まさに「敵意という隔ての壁」がそこに存在しています。しかし、いつもの訪問で感じることは、壁の中にいるパレスチナの人々が明るく元気であることです。壁がある事によるストレスは多大なものがあると思います。数年前ではそのストレスから、攻撃、反発が生まれ紛争状態の中でした。ところが現在は町が安定しているという印象をもちました。教会にある国際センターのスタッフが教えてくれました。「このような壁に囲まれて外に出られない状況においては、クリエイトしていかねばなりません。何ができるかを考え、新しく創造していくことが希望につながるのです」と。壁の中にあり、絶望の状況にあってもなお「神様の御言葉による創造」の業に従って生きて行くときに希望は生れてくると感じました。
私たちはキリストの十字架によって「新しく創造された者」となっています。この「新しく創造された」ということをもういちど自分に問うてみたいとおもいます。敵意という隔ての壁を取り壊し、新しく創造された者として平和を実現していくことが求められていると思います。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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