ルカ 1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
「自分にYESと言えるか?」。これはある雑誌の公告です。たぶん、自分の人生を肯定できますか?ということです。自分がやっていること、毎日の生活、友達との人間関係、そして生きざま。そのすべてを肯定し、「YES」と言えるか?という問いです。この問いをよく考えてみます。私たちは自分自身を簡単に肯定できるかといえば、そうではありません。むしろすぐに「YES」と答えたら、それは自分をよく知らないのです。傲慢かもしれません。自分を静かにみつめる時、私たちは自分の生き方の破れを見つけるときです。また「YES」と言えない自分にきがつくことです。
本日の聖書の中に「おことばどおり」というものが出てきます。この言葉は「受胎告知」の場面です。おとめマリアのもとに、天使ガブリエルがやってきてイエスをみごもったことを伝えました。しかも天使は最初に「おめでとう、恵まれた方」と言ったのです。この出来事は本当におめでたいのでしょうか。マリアの立場で考えるとこれほど悲惨なことはありません。単純に赤ちゃんが生まれるということではないのです。この出来事はマリアの人生に無理やり介入してきた出来事だったのです。しかもマリアは14歳~16歳だったと言われています。
婚約者ヨセフの知らないところで身ごもってしまったマリア。それは家族さえ知らないところでおこってしまった出来事。誰にも信じてもらえない出来事が起こったのでした。そう考えると、この出来事はマリアの心の傷になったことでしょう。しかし、マリアはそのことを受け入れたのでした。「YES」と言ったのです。それは聖なる傷として受けとる「YES」としたのです。
イエスの母となったマリアもはじめは「YES」と言えない自分がいました。しかし、み言葉に支えられて「YES」と言える自分になれたことを教えます。その背後には神様のみ言葉と大きな配慮がありました。
クリスマスの隠れたテーマは「信頼」と「配慮」です。神さまのみ言葉への信頼と、神様が共におられるという「配慮」。それによって目にはみえない出来事を受け入れることができるかということです。マリアは天使ガブリエルの言葉を信頼しました。そしてマリアは自分自身の役割を果たすために必死でした。名誉や地位はもちろん、ある意味では婚約者ヨセフさえも捨てて、神様の御言葉を信頼したのです。そのことに対する神様の配慮が「主があなたと共におられる」というみ言葉です。アリアを根底から支え、このみ言葉のゆえに「お言葉どおり、この身になりますように」と告白できたのです。
自分の人生に「YES」といえる場所は、神様が共にいてくださるところです。クリスマスの夜、あなたにもきっと神様のみ言葉が聞こえてきます。「主が共にいてくださいます」そして「あなたが必要です」と。
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