「最近いつも教会の扉が開いていますね」と声をかけられました。地域の方か、通りすがりの方かはわかりません。しかし、大江教会の扉はいつも開いているという印象をもっていただけたことは嬉しいことでした。赴任してからずっと毎朝7時には教会の扉をあけています。夏も冬も同じです。やっとそれが定着してきたかなと思います。
ネットニュースで次のようなものがありました。以下転載:ローマ法王は「教会の門戸は常に開いておくように」と助言。フランシス法王は、「われわれの教会の門戸は常に開かれているべきだ。そうすれば、聖霊に導かれ、神を求めて教会を訪れた人が、閉ざされた門に出会うことはないだろう」と述べた。また、フランシス法王は、「われわれのドアの外では人々が飢えているにもかかわらず、誤った安心感を与える機構がある」ことを非難した。
実は、ルーテル教会もそうですが、教会の扉は閉まっていることが多いのが現状です。なぜ教会の扉は週日に開かれないのか。牧師が外を飛び回っているので管理者がいないから。勝手にはいられると何されるかわからない。泥棒がはいったら誰が責任をとるか。などいろいろと言われます。実は、私は牧師になって25年になりますが、教会の鍵を全部閉めたことはないのです。24時間どこかが必ずあいているようにしていました。いつ誰が神様のもとに招かれ、祈る時間をもつかわからないからです。教会の扉には鍵はいらないというのが牧師としての私の信仰の証です。そのとめに、毎日礼拝堂で祈り、絶えず祈りによって礼拝堂を整えてきました。ここにはイエス様がおられる。いったい何がおきるだろう。聖霊がここに招かれる。不都合なことがおこるだろうか。
ローマ法王の助言に「そうだ」と思いました。教会は祈りで整えておけばいいのです。そのためには、皆さんがそれを覚えて祈っていただいていることが大切ですが。