ヨハネ 10:3 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
先週はひかり幼児園から年長さんが教会にきてくれました。毎年1回の教会訪問です。私も幼稚園のとき年1回の教会礼拝を楽しみにしていました。カトリックの幼稚園でしたから、神父さんの話を不思議そうに聞いていたと思われます。教会学校に誘われたらきっと教会に通っていたことでしょう。もしかしたら神父の道を歩んだかもしれません。毎年、神父さんが名前を聞いてくださり、名前を告げて祝福してくださることが一番の嬉しいことでした。自分の名前を呼ばれることの嬉しさをこの時感じたのだといえます。
イエス様は「羊飼いと羊」のたとえで、神様と私たちの関係を話されました。イエス様は「よい羊飼い」であると言われました。その羊飼いは、門からやってきて、1匹1匹の名前を呼んでつれだし、先頭にたって野原につれだすのです。この名前を呼んでというところに、神様と私たちの深い関係があります。
結婚式で牧師が、決してやってはいけないことに「名前を間違える」があります。名前を間違ったために訴訟になったケースもありました。名前はその人の人格を表し、その人自身です。ですから決して間違ってはいけないのです。間違った時点でその人ではなくなるのです。幼稚園、保育所でも、こどもの名前を間違った時「自分じゃない」と怒られます。子どもたちにとって「名前」はとても大切です。1字違ってもそれは自分ではなくなるという位の大きな出来事です。また心に傷をつけることになります。
イエス様は「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」と言われました。名前をすべて覚えているのが羊飼いだと言われたのです。もし名前を呼び間違えたとしたら、羊は羊飼いのことを信用しなくなるでしょう。イエス様はよい羊飼いです。私たちの名前をすべてご存知です。それは名前だけの問題でなく、私のすべて、私自身を知っていてくださるということです。そこに安心があります。
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