フィリピ 2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。
今年もあと2日かになりました。今日で朝礼拝も最終日です。この1年間、朝礼拝に参加してくださり心から感謝します。ネットブログで毎日聞いてくださった方々にも感謝します。毎日続けることはとても大変なことですが、それでも神様に用いられてみ言葉を語ることができる幸いが私を支えてくれます。今日もまたこの説教題から語ることができるのは、すべてが整えられているからです。信仰も健康も、そして教会も。そのことに感謝して1年の締めくくりをしたいと思います。
パウロがいう「命の言葉」とは福音のことです。福音という命の言葉をしっかり保つことが「誇り」であるといっています。この「福音」というひとつのことにかけて、パウロは全身全霊をもって働いているのです。
中世の頃、イギリスで次のような実験をしたという話を聞きました。生まれたばかりの赤ちゃん10人に、言葉をまったくかけなかったら赤ちゃんは何語を話すかという実験です。大変残酷な実験だと思いました。さて、皆さんにはこの結果がどう報告されたかわかりますか。実は、2歳にならないうちにみんな死んでしまったということです。
パウロは、「命の言葉をしっかり保つ」と言います。言葉には命があるのです。言葉は「心の振動を伝える」というものがあります。「ありがとう」の一言が人を生かすのは、その「ありがとう」に心の振動が込められているときです。私たちはイエス様から「命の言葉」をいただいています。その「命の言葉」が、どんなときでも励まし、慰めを与えてくれるのです。その「命の言葉」を大切にすることがキリスト者の努めだと言えます。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>