2014年も19日経ってしまいました。今月もあと二週間でおわりです。時間が流れていく速さは驚きです。いつも時間に追われていきているような錯覚さえ覚えます。時間とは何だろうと考えてしまいました。神様が創造されたものはすべて「良かった」とすれば、時間も素晴らしいものです。しかし、それに追われているという現実があり、もしかすると時間の受け取り方に問題があるのかもと思ってしまいます。
そんなときネットニュースで「『時間』の概念が全くない部族がブラジルに存在した」という記事を読みました。アマゾン熱帯雨林に住むアマンダワ族だそうです。言語学者人類学者が調べたところ、この部族の独自の言語の中には「時間」「週」「月」「年」を意味する言葉がないことを発見したのです。しかも数字も4までしかないというのです。年齢という概念もなく、人生の段階が変わったりするときだけ、「名前を変える」そうです。例えば、自分に新しい弟ができたら、現在の自分の名前を弟にあげ新しい名前を名乗るようになる。それだけだそうです。
いままで時間というのは、人類に普遍的に根付いている概念として考えられてきたそうです。哲学のテーゼの中には「なぜ時間は未来にしか進まないのか」というものがあります。時間について考えているのが人間だというのです。しかし、今回の調査では時間のテーゼを全く持ってない人類がいることが証明されたというのです。さすがに驚きました。
私たちの時間は、神様が「光あれ」と言ったみ言葉によって始まります。時間は神様の創造によって始まるものです。その時間の中で、時間を意識しながら永遠の生命に向かって私たちは生きている。実は神様を信じる信仰によって時間は意味を持つのです。と考えていたら、神様の時間って何かなと瞑想してしまいました。