ヨハネ 8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
昨日の自分をゆっくり省みてみます。何人の人を裁いていたか。いや、今日一日だけでも何人の人を裁くだろうか。その数は測り知れません。そんな時、人から見れば「あなたはいつ神様になったの」と言われてもしかたありません。「人を裁く」とはいったい何でしょうか。その時の自分は神様のまえで何者でしょうか。あたかも神様の代理人のように振る舞っている自分が恥ずかしくなってきます。
イエス様の有名な御言葉「わたしは世の光である」に始まる問答に一節です。「肉に従って裁く」という言葉に心を突かれる思いです。いつの間にか自分の罪は置いて、人の罪ばかりをあげつらうファリサイ派の人々に対して言われました。「裁かない」といわれている御言葉に強さと平安をいただく思いです。
ハギーというストリートミュージシャンのCD を、車を運転しながら聞いています。彼は突然33歳の若さで天国へ旅立っていきました。ストリートミュージシャンですから、夢を追いかけていたに違いありません。しかしその夢だけで生きていたら終わりということも知っている彼でした。夢を追いかけるためには、昼間は重労働し汗まみれに働いて、よるデパートの前で唄っていたのです。それでもなお歌い続けていた彼の夢とは何だったのか。いまでは聞くことができません。彼の歌で「自由詩人」というものがあります。繰り返しでてくる言葉は「奪うことは止めにして、与えて生きていこう」でした。
イエス様は「わたしは誰をも裁かない」といわれました。この御言葉にショックをうけます。イエス様ですら裁かれないのに、この私が兄弟姉妹を裁いているのですから。私たちは人を裁くことより、イエス様の御言葉を求めたいと思います。それぞれが与えられているイエス様の御言葉によって、赦しあい、慰めあいたいと望みます。裁きは神様がされることですから、私たちは愛し合うことしかないのです。
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