ルカ 7:7 わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。
遠藤周作さんの言葉に「本当の大人というのは、自分のすること、為すこと、必ず正しくないことを知っている存在である」というものがあります。大抵の人たちは「こんなはずじゃなかった」「自分がしたことは正しかったのに」と愚痴ることが多いものです。しかし、はじめから自分がどんな存在であるかを知っているなら、神様の前に自分は「ふさわしくない」ということがわかります。そこからはじめると愚痴も少なくてすむと思います。
イエス様のもとに、ローマの百人隊長から依頼されてユダヤ人の長老たちがやってきます。部下の病気を癒してほしいというのです。直接本人がくることもなく、イエス様にお願いをしたのです。その理由として、百人隊長は自分が何者であるか自分の存在自体を知っており、「わたしの方からお伺いするのさえふさわしくない」と思ったというのです。この態度と言葉にイエス様は信仰を見出され、その部下を癒されました。
かなり前のことですが、日経新聞のコラムで次のようなものを読みました。中国でゴルフ場がたくさん増えた。日本からの客も多いというので、中国女性がキャディの研修のために来日していた。彼女たちが最初に覚えさせられたのは、次の3つの言葉だった。1、どんなショットでも「先生、ナイスショット」2、トラブルになっても「先生、大丈夫」3、どうにもならなくなったら「先生、がんばりましょう」。「先生」という言葉は便利な言葉でもあり、やっかいな言葉でもあります。イエスも「あなた方は先生であってはいけない」と言われました。ホントの自分から、かけ離れた存在になってしまう危険性をもっているからです。神様の前に立つとき、たとえ自分が先生という立場であったとしても、私には神様のみが先生であるという信仰が大切なのです。
イエス様に、ローマの百人隊長は「自分はふさわしくない」といっています。自分が何者であるかを知っていたのです。また神様の前に、自分の存在がどんな存在であるかもきちんと捉えていたのです。神様の前で自分はどんな存在かを日々確かめて生きることが、豊かな人生をもたらします。
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