マルコ 6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
ラジオで笑い話を聞きました。「ある所に一人の貧しい鍛冶屋がいました。仕事は熱心に休まずしていましたが、働いても、働いても豊かになりません。それどころか生活は貧しくなるばかりです。それもそのはず、彼には次から次へと子供が与えられ、八人の子持ちになっていたのです。彼は思いつめ牧師に相談することにしました。『牧師様。私は熱心に働き、ありとあらゆることをやってきました。しかし、ますます貧しくなってきます。このうえ何をすればよいのでしょうか』。牧師は彼にたった一言いいました。『何もしないでいなさい』」やればやるほどダメになっていくことがあります。これだけやったと思うほどやってないこともあります。何もしないで、何かがおこっているのが神様のやり方かもしれません。
イエス様は、集まってきた群衆が飼う者のいない羊のような姿であるのをみて憐れまれたとあります。そこに群衆の疲れや苦しみをみておられたのかもしれません。ちょうど夕食時でもあり、群衆のために五つのぱんと二匹の魚で、五千人以上の群衆が食べて満腹する奇跡をされました。イエス様は何も考えていないようで、全てを知っておられる方です。どうすることが人間にとって一番大切なことかを教えて下さっているようです。
ヨーロッパの格言に「人に魚を与えると1日食べられる。人に釣りを教えると、一生食べることが出来る」というものがあります。教育とは何か、リーダーシップとは何かという本の中に引用してありました。安易に食べ物与えるだけがその人を成長させるわけではありません。どうしたら生きていけるかの方向を示すのが教育だろうなと思います。
イエス様は五つのパンと二匹の魚を弟子たちに配らせておられます。「たったこれだけしかないのに」と言っていた弟子たちに配らせたのです。弟子たちは何を考えて配ったでしょうか。それでもイエス様が言われた通りに行ったのです。イエス様が弟子たちに教えられたことは、御言葉を信じて行うということです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>