2テモテ 2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
竹内敏晴氏が書かれた、「からだがかたることば」という本があります。そのなかに、次のようなことが書かれてありました。「待つということは相手がくるだろうとおもう方へ、全身体、全神経をむけていることで、身体は当然その方へ向いているものである」そういえばの待ち合わせなどは、来るであろう方ばっかり見ているものです。言葉は音だけでなく、実は体全体で語っているというのです。その言葉を考えると、その人の生き方が言葉になるのでしょう。
パウロは、若い弟子のテモテに「適格者として認められた働き手」について教えています。まず「言葉をあげつらわないように」、また「俗悪な無駄話を避けなさい」と告げています。むしろ「真理の言葉を正しく伝える者になる」と忠告しています。正しく伝えるとは、まっすぐに伝えると言うことと同じです。信仰において正しい生き方をなし、そこから言葉を語りなさいと言われているようです。神様のみ言葉に生かされているなら、その言葉も神様に生かされたものとなります。その言葉を正しく伝えなさいと言うのです。
テレビを見ていると、ちょっと気になることがありました。言葉づかいについてです。最近、グルメ番組が多いのでしょうか、出演者が食べている映像が映ります。そのときの言葉づかいです。多くの出演者は男女問わず「うまい」「うめえ~」と言います。若い女性から「うめえ~」という言葉を聞くと気になります。むしろ「おいしいですね」という言葉が聞きたいものです。他にも「そして」「それから」「ところで」「いずれにしても」という言葉も反乱しています。言葉の乱れは心の乱れということを昔聞いたような気もしますが。
パウロは「真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」と教えています。神様のみ言葉は正しく伝えなければなりません。一字一句が神様の福音だからです。この福音によって人は生かされます。真理の言葉が正しく伝えられたとき、人はまっすぐに生きる者となるのです。
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