マタイ 10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい
使命・ミッションが何かを知ることの大切さを説明した言葉があります。それは「船長のミッションが船を守ることであるならば、船長は船を港からださないであろう」です。自分たちが与えられた使命が何であるか、それは間違ってないかを点検しなければなりません。教会も維持することのみがミッションとするならば、外に向かっての宣教を考える必要はなくなります。私たちの教会が何をミッションにしているか。また、そのミッションを共有出来ているかを考えてみなければなりません。
イエス様は弟子たちを宣教へと派遣するにあたり、御自分と同じ権能を与えておられます。宣教する弟子たちの働きは、イエス様の活動と同じ内容でした。弟子たちが出て行って伝える教えも、イエス様と同じ「天の国は近づいた」と、み言葉を宣べ伝える使命が与えられたのです。
九州学院で同級生のお父さんはルーテル教会の牧師でした。神学校を卒業してその牧師と共に働く機会を与えられました。その牧師は若かった私に次のようなことを教えてくださいました。「信仰の業で最も偉大なことは、いかに多くの人に福音を伝えたかではなく、伝えねばおられない人間に変えられたかである」「『自分を愛するように隣人を愛せよ』古今東西地球上にただ一人の自分を愛し切らねば、人に愛を注ぐことはできない。神が自分をして、何を表現されようとしているのか、使命を模索し、高める努力をすべきである。他人から必要とされる人に変えられなければ、その人の信仰は空しい。泳げなくてどうして溺れるものを救うことができるだろうか」と。確かにそうだなといま思います。
イエス様は「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と言われました。外に向けて出かけていき、み言葉を語り、奉仕する使命・ミッションを与えられました。しかも具体的な指示をされています。ミッションがはっきりしているので、弟子たちはみ言葉を信じ、安心して出かけていったのでしょう。私たちに与えられている神様のミッションがわかっているか。そのミッションに従っているかを考えて今日一日を生きてみましょう。
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