ヨハネ 15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
「最近、新来会者はすべてウェブページをみて教会にこられる」。都内の牧師からお聞きした話です。教会を知る方法は、チラシ、トラクト、電話からネットになったということです。だとすれば、ウェブページにアクセスしていただく方法を考えねばなりません。ある人から聞いたところによると、アクセス数を増やす方法があるといいます。人気芸能人の名前をいれる。その日のスポーツ新聞の芸能トップニュースの内容を入れる。たとえば「○○さんの電撃結婚」や「離婚」を入れるなど。そこにヒットしてくるというのです。教会のウェブページも何か考えてみる必要があります。それには教会に求められていることを考えて、キーワードを探し出すことが必要です。
イエス様は「ぶどうの木」のたとえ話をされました。十字架の死を前にした緊迫した状況のなかでの話です。そのような状況の中で木に枝が結びつくように、御自分と弟子たちとのつながりを強く強調されています。木はイエス様のことであり、枝は弟子たちのことです。この話の中で重要な言葉は「つながっている」ということです。
小、中学生にカメラを渡して、土曜から日曜にかけて「一日の生活と好きなモノ」を写すように頼んだという実験の記事が中国新聞にのっていました。これによると、都市の子供と農村に住んでいる子供とでは撮られたモノが違うそうです。都市の子供には、自分の部屋のモノが多い。ポスタ-やぬいぐるみ、照明器具や机のまわり、テレビだけを写した子もいたそうです。そして、金網ごし、格子ごしの写真の多いこと。何かに縛られて生きているのでしょうか。農村の子供達の写真には都市の子供達が写していないモノがあります。多分『自然』と答えられるでしょう。正解ですが、もう一つ大切なモノが写っています。それは『人』です。いったい私たちは何とつながって生きているかを考えさせられます。
イエス様は「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と言われました。「つながっている」が一つのキーワードです。イエス様につながっていなければなにもできないといわれました。震災以後「絆」がテーマでした。そこに「つながっている」ことも含まれていると思います。教会としては神様とのつながりがひとつのキーワードになります。
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