幼いときの心の傷の話をしてくれた友人がいます。それを克服するためにかなりの時間がかかり、教会の礼拝でそれが祝福に変わったという証しでした。
小学2年生の時だったそうです。3月に行われる合唱大会の練習をしていた時のことでした。クラス全員で並んで歌っていると、突然担任の線が自分とあと3人を呼んで、クラスメートの前で次のように言われたそうです。「あなたなたち4名は音痴だから、これからは声を出さずに口だけあけていなさい」と。先生も考えがあってのことでしょうが、その言葉が子どもの心におおきな傷を残したのでした。友人はそれから歌うことが出来なくなったといいます。自分は音痴だということが、心のなかにあり音楽が嫌いになり、カラオケなどでも歌う度に震えがきたといいます。歌う度に「あなたは音痴」という言葉が自分の中で繰り返されたそうです。
その友人は高校生になり、教会に通うようになりました。教会の礼拝でも讃美歌が歌えず、なるべく人に聞こえないように口パクで歌っていました。ところが、讃美歌はうまく歌うことではなく、神様のみ言葉に対する応答ということを牧師に教えていただいてから少しずつ自分が変わっていったといいます。礼拝でいつもとなりに座るおじいちゃんは自分より音痴でも大きな声で讃美していたことにも気がつきました。それから少しずつ声を出すことが嬉しくなって、一緒に讃美する喜びを知るようになったとのこと。そこでやっと共に声を合わせて讃美する喜びを感じているということでした。先生の言葉をやっと受け入れた瞬間だったと。
自分の今年の受難週テーマは「自分の言葉を点検する」としました。自分の言葉を点検し、神様の言葉を受け入れることをテーマにしていくこととしました。神様は必ず人間の言葉で傷ついた魂を、神様の言葉で癒して下さると言うことを教えられています。