ルカ 13:19 それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。
中国の昔話にこのようなものがあります。「ある人が種をまいてから、毎日毎日その畑を見回っていました。ところが、となりの畑の方が芽の伸びがよい。うちの方が悪すぎるということに気づきました。そこである夜、自分の畑にでかけていき、一本一本手で引っ張って伸ばしました。翌日あれからどれだけ伸びているか期待してみにいきますと、全部の芽がお辞儀をしていました」。笑い話ですが、よく考えると笑えない話です。神様はその人にあった成長を一番よく知っておられます。ところが私たちは無理に伸ばそうとして駄目にしてはいないでしょうか。
イエス様は安息日に一人の女性を癒されました。18年間も腰が曲がって苦しんでいた婦人でした。イエス様が安息日に病気を癒したということで会堂長たちから批判されます。しかし、イエス様は議論のあと、からし種のたとえをとおして教えられました。18年間も苦しんでいた女性の病からの解放は、からし種一粒ほどのちいさなはじまりである。しかし、成長すると木になるほどの大きな働きとなる。それは神の国の到来と同じであると教えられました。
被災地訪問のとき、東日本大震災救援活動の現場で聞きました。「たくさんの団体が被災地で活動し、瓦礫を撤去して土地を整地し耕してくれた。でも種をまかずに去っていった団体が多い。せめて種をまいてくれていたら、その後は被災地で生きる私たちがその種を育てていけるのだが」と。はじめは何を言われているのか理解できませんでした。自分たちの好きなこと、やりたいことだけをやって、さっと帰った団体多いそうです。物資や資金をばらまいて帰った団体もあります。それでは被災者が生きて行くための歩みの力にはならない。これからは自立していくための種、たとえば「希望」「勇気」「感謝」が必要だといわれるのです。支援団体は、その種をまいてきたかがいま問われています。
イエス様はからし種のたとえをとおして、神の国の話をされました。たった小さな種であっても、そこに種があるとき「成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」ものとなるのです。しかし、その種の力を信じて蒔かなければ芽はでてこないのです。ばら撒きではなく、心を一つ一つ丁寧に蒔いていくことが「寄り添い」の原点にあります。
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