ヨハネ 9:6 イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
牧師館の庭に少し手を入れ始めました。といっても、いろいろな草花を植えているだけですが。土に触れていると安心します。土をいじりながら思い出すことがありました。ある天に召された姉が最後に残された言葉は、「土に触れたい」でした。神様が造られたこの世界が、私たちに平安を与えてくれると教えられたのです。
イエス様は、生まれつき目の不自由であった人を癒されました。それは、見えなかったものが見えるようになる奇跡でした。この奇跡はイザヤ書によると、救い主メシアの到来を意味するものでした。その癒しのときに、「地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった」とあります。土をつかって癒されたということに何か意味するものがあると思われます。
テレビでいくつかの会社の社内食堂の紹介をしていました。ある会社では、本社ビル中のあちこちに野菜が栽培してありました。胡瓜やトマトをはじめ、根菜類にいたるまで。収穫された野菜は社内食堂で食べられるそうです。しかも、休みの日には社員たちがその手入れに従事できる。仕事ではなく、趣味で参加できるようになっていました。土に触れることで心に安定が生まれるときいたことがあります。加えて、育てたものを自分で食べることによって、体が健康になっていくそうです。体が健康になれば心も穏やかになります。そのコンセプトはとても面白いし、システムを支える会社のビジョンがしっかりしているのだろうと思います。
イエス様は、目の不自由な男を癒されるとき土を使われました。土を使うことは原始的な癒しの方法と言われていますが、あえて土を使われたのです。イエス様が土をとおして触れてくださったことで、その男の中に信仰が与えられました。イエス様と土と触れるというこの3つを通して与えられる平安は、神様が共にいて下さるということです。
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