4月には2人の兄弟を神様のもとに送りました。教会は少しさみしくなりましたが、天国はまたにぎやかになったことでしょう。きっと大江教会のことも話題にのぼっていることでしょう。
さて、すこしショックなことがありました。実は2つの葬儀のとき電話での問い合わせはほとんど「場所はどこですか」「そんなところに教会あったかな」「公民館みたいな建物のところ」というものでした。ある方は「教会って何も目印がない。案内板も看板もない」と言われました。大江教会がここに献堂されてすでに49年になります。ここに教会が献堂されて半世紀になるのに、その存在が知られてないのです。どうしてこういうことが起こっているのでしょうか。人々にわからない場所にある教会が、宣教が伸びていくわけはないなと思いました。この状況を知った時、牧師として神様に悔改めの祈りをいたしました。
きっと、これまで教会の基礎を固め、土台をしっかり築いてこられたのでしょう。大江教会がここに存在し、維持できているのはこれまでの方々の祈りと働きがあったからです。しかし、それは内に向かう働きではなかったかと思います。大江教会の土台はすでにしっかりしたものがあります。ということはこれから外に向けての宣教こそ大切だと思います。「ここは公民館?」という言葉に、私たちはどうすればいいでしょうか。まずは教会を外から見て、教会らしくすることです。教会に来ていただいて、教会を知っていただくことです。「招く」だけでなく「連れてくる」ことです。「教会がここにあるよ」と伝えることです。
教会を外から見た整備を始めました。正面のお花や、教会扉の設置、玄関の改装。皆さんのアイデアでここを教会として作り上げていきたいと願っています。