ヘブル 13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
ちょっと立野村へ帰ってきました。農家に牛を見にいったり、家の前に流れている小川でカニをとったり、阿蘇山を眺めながら昼寝をしたりと、心休まるひとときでした。さてはじめて気づいたのですが、実家へ帰ると必ず母が作ってくれる食事が、「まぜごはんとポテトサラダ」に決まっている。母に聞くわけにいかず、私が「まぜごはんにポテトサラダ」が好きだと思っているかもしれない。それが母の得意料理かもしれない。どっちにしても母が作る料理には、母の手のぬくもりを感じてうれしいものです。いつ食べても変わらない味と素朴さに、食べながら暖かさを感じます。
ヘブル書の著者は、信仰について多く語ります。アブラハムからはじまり、殉教者たちの死の瞬間まで立派な信仰を守りとおしたことを倣いなさいというのです。ただし、殉教者たちの生涯には終わりがあったが、イエス・キリストには終わりがないといいます。多くの教えが存在するなかでイエス・キリストの教えだけは常に変わらないと教えています。
電車の広告で興味をひかれたものがあります。「紅茶とおにぎりは合う」というものです。そんなことはないと思いました。これまでも紅茶とおにぎりを一緒に食べることありませんでした。紅茶は甘いからです。ところが広告には「無糖の紅茶はお茶です」とありました。確かにそうです。紅茶はお茶です。それに砂糖、ミルク、檸檬などをいれて変えているのは私たちなのです。紅茶をお茶として考えれば、たしかにおにぎりにも合います。改めてお茶として眺めてみると、変わらないものを変えているのは私たちだということに気がつかされました。
ヘブル書の著者は「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」と告げています。変わらないものがある。イエス・キリストは永遠に変わらない。この変わらないものを永遠にもっておられることが私たちの救いです。十字架の出来事も永遠にかわることがありません。
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